ボッコボコのふるぼっこ

34歳間も無く無職の現在、過去、未来、あとなんかそういったアレ

思っている事を文章にするとストレス解消になる事に気がついた

悪い癖が猛威を振るっている、、名付けて「心のシャッター閉店ガラガラ病」だ。

 

この病気は幼いころより時折私を襲い、その都度周囲の人間に迷惑をかけ、測りしれない不信感を獲得してきている。そんなこんなでクラウドワークスも勿論シャッターピシャーンでほっぽり投げてしまった。

謝るつもりは毛頭ない、私のこれからの信条として自分に嘘をつかないという信念があるので周りに避難され、罵声を浴びせられようとも、私の心のシャッター閉店ガラガラ状態であるという事は一旦自分の中に落とし込んで認めてあげないといけないと思うのである。

今までは大概そんな状態になった時は、そんな風になっている自分を責めるというドS極まりない行いで自分をさらに追い込み、心のシャッターガラガラピシャーンの上にさらにチェーンソーでも歯が立たない重厚な南京錠までかける始末になっていた、、そこまで行くと取り返しのつかない状態になってしまう。この症状が自然に治まったあとにそれを振り返り、あまりの恥ずかしさと自己嫌悪から素直に謝る事ができなくなるのである。

これを解決する方法は一つしかないと思っている。その名も「心のシャッター閉店ガラガラですが何か?作戦」である

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説明しよう

 

「心のシャッター閉店ガラガラですが何か?作戦」とは自分の心の屈折を包み隠さず何が悪い?という態度で一旦自分を肯定し、その気分が回復した後にくる自己嫌悪と羞恥心を少しでも軽減しようと試みる作戦である。

 

私の場合はいつもそうだが、「誰もわかっちゃくれない、、」とか言いつつ結局他人の理解を「察してくれよ」といった曖昧な態度で求めてしまう嫌いがある。

はっきりいって面倒臭い!我ながら子供じみてると本当に思う、しかしながらこれはもう神が与えた味だと思うようにして無理やり自分を押し殺してまでその味を変える事はやめようと思っているのである。

 

今まで何度も自分を変えようと自分なりに工夫をしてきたのだが、しょせん日本食は日本食。洋食にはなれないし、日本人がいくら英語を流暢に喋れるように努力し、髪を金髪に染め上げたところで日本人は日本人なのである。もちろんそういった努力が人間を成長させる事はよくわかるのでとてもいい事だと思うのだが、自分の根本を捻じ曲げて成長してしまうと、その後に方向修正しようとした時にすごく難しくなってしまう。

私は今この歳になってからこそ気がついた、自分の持っているものを自分で全否定してはいけない。悪いところに気がついてちょっとづつ修正しより良いものにしていくのは構わないが、悪いところを見つけてその全てを否定するのは是非やめていこうと思う。

 

結局人間はどこまでいっても一人なのだ、親、兄弟ですらしょせん別の人間なのだ。

別の人間が別の人間を100パーセント理解する事はできないし、理解してくれとのたうち回る方がよっぽどイカれているという事は周知の事実である。

 

が、しかし、その承認欲求というものは捨てなくてはいけないと思えば思う程に力を増してくる、すべての欲求というものは捨てなきゃいけないと思えば思うほど力を増してくるものだ、、

 

もうそうなってしまっている事を、良い悪いで判断するのをやめるしかないと思う、自分はとりあえず今そういう状態なんですごめんなさいと割り切って考えると意外とそこに執着していた事すらどうでもよくなってくるものだ。そうなったあとに素直にあやまればいいだけの話である。

なので私は思う存分「心のシャッター閉店ガラガラですが何か?」と思うことにした。

 

ご飯を食べている時も「心のシャッター閉店ガラガラですが何か?」

お風呂に入っている時も「心のシャッター閉店ガラガラですが何か?」

眠りにつく時でさえ「心のシャッター閉店ガラガラですが何か?」

 

なんだかこれを書いているだけでも「心のシャッター閉店ガラガラですが何か?」という事自体どうでもよくなってきたw

 

結局思ってるモヤモヤを文章にするのが私にとって一番ストレス解消になるんですね。